[大隈講堂] × [2:都市計画]

軸線を通してつながる建物、つながる精神

戦前は早稲田鶴巻町を中心に、戦後は早稲田通り一体が学生街として賑わう

早稲田大学の前身である東京専門学校の創立当初、今の正門前を含め、一帯は水田やミョウガ畑などの田園風景が広がっていました。1902年(明治35年)に正門付近から早稲田鶴巻町(※1)を経て山吹町(※2)に至る早稲田新道が開通。明治40年代に入ると早稲田鶴巻町を中心に学生街が形成されるようになります。現在は道が拡幅・再整備されて影も形もありませんが、1927年竣工当時は、大隈講堂のすぐ脇の現在のバス停辺りに古書店などが並んでおり、学生街として賑わっていました。
しかし、1945年の東京大空襲(※3)で早稲田鶴巻町の学生街は壊滅的な被害を受けます。そして、戦後は西門から高田馬場方面に向かう早稲田通り(※4)一体が学生街として賑わうようになりました。 ※1:早稲田鶴巻町は東京都新宿区の町名で新宿区の北部に位置。現在の早稲田大学の東に位置する。
※2:山吹町は東京都新宿区の町名で新宿区の北東部に位置。
※3:東京大空襲は第二次世界大戦末期にアメリカにより行われた東京都区部に対する爆撃。
※4:早稲田通りは東京都千代田区から杉並区に至る道路区間。
※5: 高田馬場は東京都新宿区北部の町名。高田馬場駅は、JR山手線、東京メトロ東西線、西武新宿線が通っており、その東西に高田馬場の街が広がる。早稲田大学は高田馬場駅から東に位置。

現在、大隈講堂を高田馬場(※5)側から見ると、早稲田通りを東に歩いて行って一番奥に立つアンカーのような位置にあり、こちらを向いています。しかし、戦前の学生街の中心地は鶴巻町側。つまり、大学の東側なので、大隈講堂の向いている方向が現在とは違う印象があったのではないかと思います。

副都心線の開通等を経てキャンパス全体の名前を再整備

私の学生時代(1990年代)は現在の早稲田キャンパス(※6)は“本部キャンパス”と呼ばれていました。しかし、1994年に大隈会館がキャンパスの外に出たことによって、本部キャンパスという呼称が似つかわしくなくなり、町名を冠して“西早稲田キャンパス”と改称されました。
その後、副都心線が開通。理工学部のある大久保キャンパス(現在の西早稲田キャンパス)のすぐ脇に駅ができることになり、その名前が西早稲田駅となりました。東西線の早稲田駅より西にあるという意味で西早稲田駅となったのですが、そうすると当時、“西早稲田キャンパス”と呼ばれていた昔の本部キャンパスは早稲田駅の隣にあり、西早稲田駅は別の場所にあるというややこしい状態に。
そのため、キャンパス全体の名前の再整備が行われ、早稲田駅の隣が早稲田キャンパス、そして西早稲田駅の隣が西早稲田キャンパスと改称されました。
結果として元々、早稲田、西早稲田と呼称されていた地名が西へ移動する形となっていますが、実は高田馬場という名称も西へ移動した地名だと言われています。元々は高田馬場で実際に馬場があったのは、現在の駅から1.5kmほど東に位置したところ。現在の早稲田キャンパスに近いあたりでした。
それが1975年に行われた高田馬場駅周辺の住居表示変更の際に、現在の高田馬場駅周辺が高田馬場と呼ばれるようになり、西へ移動していきました。
※6:早稲田大学には、大隈講堂や政治経済学部、法学部などが設置されている早稲田キャンパス、文学部などが設置されている戸山キャンパス、理工学部などが設置されている西早稲田キャンパスなど、複数のキャンパスが存在。早稲田キャンパスは早稲田大学のメインのキャンパス。

軸線に対して斜めに構えたつくりが建学の精神を表す

ここまでが早稲田大学のキャンパス計画の概要です。大隈講堂に関して都市計画上の特徴をいくつか付け加えると、一つ有名なものとして、大隈講堂が早稲田キャンパスの中の主な軸線(※7)に対し、斜めに構えているということがあります。これは権威主義的な建ち方を避けているとも言われていて、門や塀がない一般の人が通り抜ける道路の脇に直接建っていることとあわせ、早稲田大学の建学の精神を表す建ち方だと言われています。
一方で、大隈講堂とキャンパス内の主な軸線に乗った大隈銅像(※8)のある軸線を、そのまま西に延長すると、理工学部がある西早稲田キャンパスの中心施設につながります。それは竣工当時、東洋一の高さを誇った51号館の塔屋部分で、ちょうどキャンパスのへそのような部分にあたります。ここから51号館の位置が決まっているのではないかと言われています。
高田馬場周辺に早稲田のキャンパスが点在しているわけですが、それぞれ軸線を通して精神的なつながりを持っている。そういう都市計画が行われているということが言えるかもしれません。※7:軸線は、部材などの軸方向の図心(平面図形の中心)を通る線のこと。
※8:大隈銅像は大隈講堂の西に位置する。