[大隈講堂] × [3:歴史]

ゴシック×ロマネスク
日本の近代折衷主義建築

ゴシック建築として設計された大隈講堂

大隈講堂はかつての大隈邸の敷地内にあります。その場所には江戸時代の後期、彦根藩井伊家や高松藩松平家の下屋敷(※1)があり、この時期に築かれた大名庭園(※2)が現在の大隈講堂の脇に広がっている大隈庭園の元になっています。
明治に下屋敷が不要になり、明治7年(1874年)に大隈重信が入手。最初のものは別邸として、後に本邸としてその場所を利用していました。明治15年(1882年)に大隈は隣接地を東京専門学校、現在の早稲田大学を開設するための用地として購入しました。
そして大隈の没後、設計競技が開催され、関東大震災による中断を経て、佐藤武夫、佐藤功一を中心とする設計チームが組まれ、現在の大隈講堂ができました。
設計競技の時点ではゴシック様式(※3)が要件として挙げられており、正面の連続アーチは頂部が尖った尖塔アーチでゴシック様式の特徴とも言えます。ゴシック建築と言うには角度が緩やかな気もしますが、先が尖ったアーチはゴシックの特徴です。また、時計塔の部分もゴシックの特徴を模しています。ただ、建物全体としては厚くてどっしりとした壁の表現で、ロマネスク的(※4)とも言えます。
一般には、大隈講堂はゴシック様式と書かれているものが多いですが、私が思うに、見れば見るほどゴシック的な要素は少なく、ロマネスク的な特徴を備えているように感じます。特に大隈庭園側は、壁面の開口(※5)も、回廊(※6)の天井も、綺麗な半円アーチを描いており、これはロマネスク建築の特徴だと言えます。※1:下屋敷とは大名・上級武士などの別邸。
※2:大名庭園とは江戸時代において、各藩の大名が江戸や地元で築造した庭園で、代表的なものとして六義園や栗林公園等がある。
※3:ゴシック様式とは、12世紀ごろの中世ヨーロッパで広まった建築を中心としたデザイン様式。尖ったアーチなどが特徴で、代表的な建築物として、フランス・パリのノートルダム大聖堂やドイツ・ケルンのケルン大聖堂などがある。
※4:ロマネスク様式とは中世西ヨーロッパの建築様式で、1000年から1200年ごろまでのゴシック建築以前の建築様式を指す。厚い壁と小さな窓、円形アーチなどを特徴とする。
※5:開口とは、建築物の壁面や屋根などに設ける窓や出入り口のこと。
※6:回廊とは、教会や寺院、宮殿などの建物構造に採用されることがある廊下の名称のひとつで、中庭などを取り囲むように続く長い屋根付廊下を指す。

修道院由来の大学施設にあって中世系の建物が好まれる

ゴシックとロマネスクはともにヨーロッパ北方、アルプス以北の建築言語で共通点も多いです。特に判別が容易な部分で言うと、アーチ頂部のとんがりが一つの分岐点です。その意味で大隈講堂はロマネスク的な部分が多いと言えます。
ヨーロッパでは古典古代のギリシア、ローマ(※7)があって、その後ロマネスク、ゴシックの中世がやってきて、ルネサンス(※8)になると古典復興で古典主義が出てきます。その後ゴシックが一時期忘れ去られているわけですが、18世紀後半から19世紀にゴシック建築の復興運動としてネオ・ゴシックが起って、様式が相対化されていきました。
ネオ・ゴシックでは、ルネサンスに懐疑的な人たちがゴシックをキリスト教の様式として正当なものであるということを主張しました。大隈講堂が建ったのは1927年で20世紀に入ってからですが、ロマネスクやゴシックという中世の様式が用いられているのは、修道院由来の大学施設にあって、中世系の建物が好まれるという傾向に沿っているためだと思います。 ※7:ギリシア建築は古ギリシャ人によって創造された建築様式で、パルテノン神殿が代表的な建築物としてあげられる。また、ローマ建築は紀元前6世紀頃から4世紀までに形成された古代ローマの建築でパンテオンが代表的な建築物としてあげられる。
※8:ルネサンスとは14世紀にイタリアで始まった古代ギリシア、ローマの文化を復興しようとする文化運動。
※9:ウェストミンスター宮殿はイギリス・ロンドン中心部、テムズ川河畔のウェストミンスターに位置する宮殿で、現在は議事堂として利用されている。

大隈講堂が設計される際に直接参照された建物として有名なのはウェストミンスター宮殿(※9)です。これを裏付ける証拠が鐘です。大隈講堂の時計塔には鐘が4つ入っていますが、大小4つの鐘でハーモニーさせる方法は日本で初めて大隈講堂で使われました。現在でもウェストミンスター宮殿のそれと同じハーモニーを奏でています。ウェストミンスター宮殿は19世紀の半ばにできたゴシック・リヴァイヴァル(ネオ・ゴシック)の建物で、時計塔の鐘が鳴る時間は8時、9時、12時、16時、20時、21時と、1日6回鳴っています。
もう一つ参照されたのではないかと言われている建物が、ラグナル・エストベリのストックホルム市庁舎です。1923年竣工の建物で、早稲田大学の教員でもあった今井兼次がストックホルム市庁舎を1927年、大隈講堂が竣工する年に訪れており、いたく感動したというエピソードが残されています。

大隈家の家紋にインスパイアされた十字状の模様

大隈講堂はそうすると、西洋の様式をなぞっているという風に言えるかもしれませんが、実は門扉(もんぴ)やランプには多数の十字状の模様が見られます。これは大隈家の家紋である裏梅剣花菱にインスパイアされたものと言われています。
正面にある6枚の鋳物の門扉には1枚ずつ早稲田の WASEDA という文字が隠れていますので、ぜひ現地で探してみていただければと思います。また、大隈講堂を見学される方はぜひ同時に見ていただきたいのが、大隈講堂の脇に建つ小さなハーフティンバー様式(※10)の建物です。これは大隈邸の門衛所なのですが、実は早稲田のキャンパス内で一番古い建物で、1902年に建てられています。こちらもぜひご覧いただければと思います。
※10:ハーフティンバー様式とは半木骨造とも呼ばれる北方ヨーロッパの木造建築の技法。